通史としてのコンピュータ開発史
計算機の起源
そろばん(中国起源)
計算尺(17世紀ごろから使われ出し、1850ごろマンハイム型に完成)
- 計算の需要は古く、計算器具は考古学と呼ばれるような時代から多く
作られた。
- 特に計算尺(主としてヘンミ製)は世界を席巻。(竹の合板を用いて精度が高かった)
- これらはまったくのアナログ計算機
- 自動計算機械としてのポイント
- 手続きを知れば計算ができないものにでも答を出せる
1642 (仏)Pascalの歯車式加減算器(パスカリーヌ, 10 台現存)
- 歯車式加減算器も「自動」の要件を満たす
- 必要な桁の歯車を必要な数だけ回せば加算や減算が可能
- 歯車式のポイント
- 桁の繰り上がり処理を自動化
1781 (英)ワットの蒸気機関発明(産業革命)
1805 (仏)ジャカードの自動織機(パンチカードの利用)
- 現在の計算機の歴史に直結する、すなわち直接の祖先となる系列の一つ
- 動作指示部分とそれにしたがって働く処理装置の二つで自動処理機械を
構成
(現在の典型的なコンピュータと同じ)
- オートマタ
- 1800年頃には、西欧ではすでに Automata (自動機械) と呼ばれるオルゴールが存在
ジャカード織機が決して特異な存在ではなかったと想像される
(動作指示部分と単機能の演奏機械群の組合せからできている)
-
ホール・オブ・ホールズ六甲
(嵐山にも歴史的なオルゴールのコレクションがある)
- なお、1920年頃からの蓄音機登場以来、急速に各種自動演奏機械は減った
機械式計算機とデータ処理機械の流れ
1823 (英)バベッジ、階差機関 Differencial Engine 開発に着手
- 三乗数などの数表を自動計算して印刷するための機械
ただし機械式でさまざまな要因から完成せず。
1833 にロンドン科学博物館によって組み立てられる
1832 解析機関 Analytical Engine に着手、1856 まで取り組むがこちらも未完
(しばらく空白)
データ処理:ホレリスからIBMへ
現在のコンピュータに直接つながる流れはまさにデータ処理の社会的需要から
浮かび上がってくる。
もっとも Epoch Making なできごとは 1890 年のホレリスの統計処理であろう。
1838 (英)モールスの電信
1873 レミントン社がタイプライタを開発
1883 (米)エジソンが真空管の原理を発見
1890 ホレリス (Herman Hollerith) の統計処理
- アメリカの国勢調査の統計処理をパンチカードを利用した加算器で行なう
(IBM Historyから
Pre 1900)
- その前回 1880 年の国勢調査の統計処理に統計局は 6 年を費やした
=>「自動化による迅速な処理」への強い需要
- ほぼ 10 年かかる作業を 2 年半で仕上げた。
- ホレリスの統計処理のポイント
- カードは自動処理の制御のため(ジャカード織機やバベッジの階差機関)ではなく
処理対象としてのデータ
=> 自動データ処理の起源
- これ以降「大量データの自動化による迅速な処理」はコンピュータ利用の最大
需要の一つであり続ける
- それほど新規性のある技術ではない。
- 自動化処理と大規模データ処理とを結び付けた点で Epoch Making な出来事だった
(カードによる統計処理:
パンチカードにデータを記録し、分類機を使って仕分けをすることでデータの
カウント、統計表の作表が機械的に行なえる。
ソート処理すら可能。例に考えて見よ。)
1896 ホレリスは Tabulating Machine Company を設立
1911 他 2 社と合併して Computing-Tabulating-Recording Company (CTR) 社に
1914 NCRから来たワトソンがCTR社の社長となり、経営的に躍進
1924 CTR 社 International Business Machines Corporation (IBM) に改名
- 当時 PCS と呼んでいたこれら製品をレンタル販売して市場を席巻
これ以降ほとんどの時代において IBM はコンピュータの技術、産業、市場に
おける「巨人」であり続けている。
1935 には独禁法で司法省から訴えられるまでに
素子技術の進歩
1897 ブラウン管 ( 初のテレビ放送は1935 の英国)
1904 フレミングの真空管(二極)
1907 三極管発明(増幅=スイッチングが可能に)
1931 (英)ウィルソンの半導体理論
電子式計算機へ
こうしたなかで、現在の計算機の直系の始祖にあたる計算機である ABC や
ENIAC、EDSAC らが数年の間に開発。
自動処理機械としてのコンピュータ開発はここから一気に加速。
1936 (英)チューリング、チューリング・マシンの概念を発表
1941 (米)アタナソフとベリー、ABC を開発。電子式(真空管300本)、二進法
1944 (米)エイキン、ホッパー、IBMが Mark-I を完成。リレー式
1945 (米、亡命ハンガリー人)フォン・ノイマンがプログラム内蔵方式を提案
1945 二次大戦おわる
1946 ノイマンらがいわゆるノイマン型アーキテクチャを発表
ここでは計算機開発の流れを追うことに主眼をおく
チューリング・マシン、ノイマン・アーキテクチャ、ストアド・プログラム
など重要な概念についての説明はしない
それらの要素がこの戦時の数年で揃ったということだけ意識せよ
戦争中は暗号器や解読器も機械式計算機の一種として作られたがこれも追わない
1946 (米)ENIAC 公開。マッカーシー、エッカート。
真空管18000本、170平方メートルの部屋に30トン。
砲弾の軌道計算を4秒、10進処理、プログラムはボードの配線で決定。
写真 [ ペンシルベニア大から ]
- ENIACのポイント
- 電子式
- 非実用的(戦時下でのみ開発可能だったか)
- 素子は真空管 = どれか一本は切れているような状態
- プログラムが配線であり、入れ替えには大変な時間と労力が必要
- つまり、この時ブレイクスルー(技術革新)が求められていた
再び素子技術の進歩
1947 ベル研究所のショックレー、バーディーンらがトランジスタを発明
1948 ベル研究所のシャノンの A Mathematical Theory of Communication
参考:
1948 IBM 604 (真空管式 PCS, プログラム内蔵の電気(機械)式)
- 制御にはリレー(電気接点を使ったスイッチ)ではなく真空管を使っていたが
- 流れるデータはパンチカード(物理的存在)では速度が上がらない
- データを電気的な存在=電子回路上の値にしてデータ処理をするべき
=>IBMは電子化では出遅れていた
- 1980 年ごろまで、低速で構わない処理にはカードが使われ続けたが
1949 (英)EDSAC 完成。プログラム内蔵、二進、真空管3000本。
1950 (米)EDVAC 完成。プログラム内蔵。ENIAC チームが開発。
1951 UNIVAC-1 完成。十進、超音波遅延回路メモリ。
ENIAC のエッカートとモークリーは Remington Rand 社を作り、UNIVAC-1 を
統計局に納品。
百数十台の IBM PCS を置換した。
1952 IBMが1/2inch テープを発表。現在も同じサイズ!!カードを置換するもの。
- これ以降の10年間でコンピュータの基本的な使い方のスタイルができあがった
- この数年のうちに、磁気コア、ドラムメモリ、ハードディスクなど主要な技術が開発される
- ミニコンの DEC、スパコンのCDC (設計者セイモア・クレイ)など、
その後何十年も続く主要プレイヤーが次々と設立
- FORTRAN, COBOL, LISP など主要なプログラミング言語も次々と開発
- 素子はトランジスタが最有力となる(集積回路の登場)
1958 (米)TI ジャック・キルビーの集積回路 (Integrated Circuit, IC)
- 集積回路:シリコンなどの半導体の上に半導体による複雑な回路を構成したもの
- 従来基板上で配線していた回路を小さなシリコン片(チップ)上に詰めこめる
世界で最初のマイクロプロセッサ(集積回路 CPU)4004 (1971) は 2300 トランジスタ
今は数百万トランジスタを集積 ( Pentium II )
インテルミュージアム
- 精密加工が可能で、回路密度が向上
[ Pentium 90 ]
- 速度の向上、故障率の低減、量産効果による低コスト化などが実現
- 現在のPCの回路基盤画像
[ 1. 2. ]
現代のコンピュータの多くは集積回路を結ぶだけでほぼ回路が完結してしまう。
参考:キルビー特許(集積回路の基本技術の特許)
- 1964年米国で成立
- 結果的に半導体技術の基本特許となったため、ほとんどの半導体ビジネスが
ロイヤリティを求められる可能性をもつが、米国では 1981 年に失効したため
影響はそれほどでも
- 日本では25年も遅れた1989年に成立、2001年ようやく失効
- 1980年代以降の特許料については大きな問題となった
- 東芝、沖、三菱、NECなどは多額のロイヤリティをTIに支払う
- 富士通だけは争い、2000年4月に勝訴確定
(毎日インタラクティブ 2000.4 )
-
素子技術と電子化のポイント
- さまざまな素子技術の発展と同期しつつ、多様な素子にトライ
- 電子化は、安定・高速なトランジスタの開発によって達成された
- 以後トランジスタが素子技術開発のメインストリームとなり現在に至る
- 集積回路が登場
現代へと続く 1960 年代
この開発競争のさなか、1964-9 には 4 つの Epoch Making なできごとが起きている
- アーキテクチャと互換性が重要になるきっかけ、IBM 360
- 電卓(超小型電子計算機)とマイクロプロセッサ(集積回路による CPU)
- Unix (小型計算機)
- ARPANET (Internet の前身)
1964 IBM System 360 発表。IC 回路、コアメモリ。設計者はアムダール。
- 360 の設計をひきついでその後多数の後継機が登場
- 僅かの手直しで 360 用に作られたプログラムがそのまま動作する
- 過去のプログラムを多く継続利用できるようになった
- こうしたコンピュータの基本設計のことをアーキテクチャと言う
- IBM の互換性戦略
- 360 (と370) アーキテクチャを非常に長く使った
- 結果 1980 年代後半まで大型汎用機と呼ばれる、大量データ処理指向の強い
市場で圧倒的シェアを得た
- ソフトウェアが「資産」(開発工数とその為の投資の成果物)と考えられるはじまり
- 「互換性」の概念が、その後のコンピュータの発展で非常に重要な要素となる
- 今全盛である PC/AT もアーキテクチャの名称であり、IBM PC/XT ('83) AT ('84) から続く
1964 早川電機工業(現シャープ)が世界初の電卓、トランジスタ530、ダイオード2300、25Kg
- これから1970年代にかけて、ビジコン、シャープ、カシオなど国産企業による
電卓開発競争がおきる
- その波の中で現在最も有力な集積回路メーカーの一つ、Intel がビジコンと 4004 を開発 (1971)
- これが現在も Intel 優位で進行しているパソコン市場での CPU 競争に直結
1964 MITがMULTICS開発に着手(ベル研も参加)
1969 ケン・トンプソン(ベル研)が Unix を開発
- MULTICS 開発は余りにも計画が大きすぎ、1969 年にはベル研が撤退
- このときベル研のケン・トンプソンらが DEC PDP-7 上でUnixを開発
1969 ARPANET 運用開始
- 1960年代のポイント
- 多くのブレイクスルーがわずか 15 年ほどの間に、次々となしとげられた
- 同時に多くのキーパーソンが現れた実にダイナミックな時期
- 1945年頃同様、軍需(冷戦) による加速もあるが、民需による加速もあった時期
現代へ
1971 Intel がビジコンと初の 4bit マイクロプロセッサ 4004 を開発
- 電卓用だったが、汎用であり、入出力回路とプログラムの入れ替えによって多様な
機器に応用可能
1974 Intel が 8080 (8bit CPU) を開発
1975 Altair 8080 (「マイクロコンピュータ」マイクロプロセッサを利用したコンピュータが登場)
1976 Zilog が Z80 を開発
1977 Apple 社起業、Apple I 開発
1977 VISICALC 表計算 (ビジネスアプリケーションの登場)
1978 Intel 8086 (16bit CPU)
1981 IBM-PC と MS-DOS (IBM PC/AT アーキテクチャの原型)
1984 Apple Macintosh
1985 Intel 80286 (32bit CPU)
- マイコンからパソコンへの進歩
- CPU は 8bit から 16,32bit へ
- 工業用・ホビー利用からビジネス利用へ
1990 Windows 3.0
1995 Windows 95 発表
1996 インターネットの普及と共に、国内で 1000 万台の PC 売り上げを記録
- コンピュータ利用のなかでのネットワークの比重の高まり
- 多くの変化があったが、ブレイクスルーの少ない時代を過ごしている
- 性能向上だけではない、大きな変化を待ち望む局面にいるのでは?(過去の流れを見よ)
エンジニアの遍歴
CPU 市場
- 1947 ビル・ショックレー、ジョン・バーディーンが半導体を発明
- 1955 ショックレーがAT&Tを出てパロアルト(シリコンバレー)に
ショックレー半導体研究所を作って事業化を目指す
- 1957 ロバート・ノイス、ゴードン・ムーアら俊英ばかり8人が飛び出して
フェアチャイルド・セミコンダクタを起業
シリコンバレー(半導体産業の中心地)の源となる
- 1968 ノイス、ムーアは再びスピンアウトし Intel を作る
- 1971 電卓競争のさなか Intel はビジコン社の嶋正利と共同開発で世界初の
マイクロ CPU チップ 4004 を開発
- 1972 8008 発表、8086,80186,80286,80386,486,Pentium と流れていく。
ハードディスク
- 1967 IBMのアラン・シュガートが 8 インチフロッピーディスクを開発
(56年の最初のハードディスク開発当時も IBM にいたはずであるから、
何らか関わっているかも知れない)
- 1969 メモレックスに移る
- 1973 シュガート・アソシエイツを設立
SASI (Shugart Associates System Interface)は長く NEC のPC9801シリーズの
ハードディスクインタフェイスとして使われ、その後の
SCSI (Small Computer Systems Interface) につながる。
- 1974 自社を解任される
- 1979 フィニス・コナーと共同でシーゲート社を作る
- 同年 ST-506 ディスク(6MB) 、1982年 ST-412 を開発し、大量に売る
ST-506インタフェイスは ESDIとして中型以上ハードディスクの標準となる
ST-412インタフェイスも 82年に IBM PC/XT に採用され、小型ディスクの標準 IDE として今に至る
- コナーがシーゲートを出てコナー・ペリフェラル社を設立する
- 1996 コナーがシーゲート社に買収される
- 1998 再びシュガート自身もシーゲートから解任される
今の主要な技術の多くが、ひと握りの人間の工夫によって大きく進歩してきた
のがわかる
コンピュータの発展と技術進歩
- さまざまな要素技術の足並みが揃ってここまでやってきたということと、
- 常に使える技術の最新のものを利用しながら曲折を経て性能をあげてきた
- 今後もさまざまに変遷する
- 今のコンピュータのスタイルが最適、最高のものではない
- すべては「工夫の積み重ね」なんだということを理解
- これこそエンジニアリング!
- 僅かの人間の能力が世界を大きく描き変えていることに注目。
- 先端分野とは才能が世界を変える世界か?
- そろばん、計算尺と、小学校の正課で習った時代はある
- 計算尺や手回し計算機など、それがなければ仕事が止まるような道具はその時々にある
- 今のコンピュータやネットワークにも等しい
「それがなければ明日から仕事が止まる」
- 何れ新しい道具に取って代わる
- 道具として使える事が重宝されることはあっても、その価値は時代とともに変わる
- 自己の競争力として道具の使い方に習熟する
- 技術の結果を見ず、流れを理解して長期的な視点を獲得する
参考文献
- 「コンピュータ・アーキテクチャ 電脳建築学」坂村健、共立出版、1984
- 「計算機屋かく戦えり」遠藤諭 アスキー、1996
- 「インターネットヒストリー」Neil Randall、オライリー、1999
- 「パーソナルコンピュータを創ってきた人々」脇英世、ソフトバンク、1998