レポート:新聞社に残る価値
電子出版が進むと新聞が今まで得意としてきたメディアとしての特性、例えば速報性といったことはその価値が薄れていってしまいます。
では逆に電子出版が進んでいったとしても最後まで新聞社に残る価値とは何でしょう?
講師から
(ざっと見る)一覧性や、読みやすさ、携帯性、といったコンピュータで実現するには機能的に不便な部分については、今後ハードウェアの性能や機能が上がっていけば
解決されてしまうことと思います。
新聞とは、情報を入手(取材)し、まとめ(整理)、限られた紙面にレイアウトし、印刷紙、配布し、集金する、という複雑な作業を全て一つに組み合わせたモノだと私は考えています。
これらの作業のうち、配布、集金といった作業は、早晩コンピュータとネットワークによって自動化されていくでしょう。
レイアウト、という作業の多くは「限られた紙面で」という条件がゆるい電子出版ではその重要性自体が薄れていくでしょう。
残るは取材をし、読者にとって有益と思われる材料を選別し、適切な解説やコメントをつけて情報提供する、という作業です。
つまり編集作業ですね。
ここはどうしても自動化できませんし、今後大量に流れていく情報の海の中では、適切な情報のみを拾い上げて分かりやすく提供する、という作業自体に金銭を支払う価値が高まっていくと思います。
つまり新聞に最後まで残るのは取材し、記事を書くライターの頭脳・編集力だということになります。
ただ考えてみるとこれこそが新聞の本質です。
従来、新聞の影響力は出版部数によって評価され、大新聞社の、その出版部数を支えているのは記事の品質なのか、それとも契約を取り付ける営業のマンパワーなのかわからないところがありました。
電子出版によって、新聞の競争はより本質的なところでの競争になっていくでしょう。
デジタル化の作業というのは、実は問題から本質だけを残して不要なモノを切り捨てる作業につながっている、ということが感じられる一例と思います。
ところでこの場合、新聞社が紙ではなく電子情報で出版する可能性が非常に高くなります。
逆に新聞社が紙メディアと印刷ということに執着するようでは彼らに未来は無いでしょう。
受講生からの回答
全文、原文のままですので、誤字や途中になっているものなど多くあります。
- 長くに渡って情報を世間に提供してきた事で染み付いた情報提供者としてのロイヤリティ。
優秀な記者やカメラマン等も専属していて、情報をうまく処理して受け手に提供できるため、
発信する情報に真実味を帯びさせる事ができる。
講師からのコメント:
真実味、ではなく信頼性、というべきでしょう。良い回答とおもいます。
- 新聞を読む人全員に同じ情報を等しく与えられる利点がある。
地域に密着した記事がある。
新聞がないと、朝食がすぐに済んでしまう(団らんがなくなる)
講師からのコメント:
最初の意見は、そのどこが利点なのかよくわかりませんでした。
地域との密着性は、むしろ電子化されたニュースメディアの方が可能性があるとおもいます。
理由は紙と違って、どの地域の人に届ける場合はどの記事を見せる、といった処理に手作業を必要とせず(自動化できる)、コストがかからないからです。
- 停電やサーバートラブル、ウイルス感染などにより、デジタルの情報が扱えなくなったときの
二次的バックアップ的な使い方をする事ができる。図書館などで新聞を資料として残しておける。
デジタルデータの保存だと後から改ざんされたりする可能性がある。
講師からのコメント:
記録や改ざん可能性については次週でやろうと思います。
電子化されたニュースメディアにも解決できる問題と思います。
- 体にたいして電磁波の影響を受けない。情報源としての価値。
もしPC/WEBが使えないときのための万が一としての情報源、
現代の一般人にとっては、新聞紙の大きさ・軽さのほうが小型ノートPCをあけるより手軽で、
なおかつあれだけの紙面に大量の世の中の情報量があるので、PCは画面がいくら大きくても
A/B/Cの記事をすぐ見て比較できないので、あらゆる場で手軽に情報比較可能な媒体としての価値
PC/WEBのつかえない貧ぼう人にとっての情報源としての価値
- テレビなどは、視覚+聴覚を使って情報を取り入れることが出来るが、2つともあるので、
逆に言うと1つから取り入れられる情報は少ない。例えば耳の聞こえない人だと、その情報では物足りないが、
新聞だと細かく情報が文字で載っているので、見やすい。また、新聞は形として残る。
- 紙であるために、どこでも簡単に持ち運べて読めるという利点がある。
- 新聞は持ち運びに便利で、老人などパソコンなどの電子機器に慣れてない人にも易しく多くの人が
手軽に読む事ができる。読むまでの時間もあまり必要としない。
講師からのコメント:
デジタル情報に触れる機会の世代や地域による格差がそのまま生活の格差に結びつくことに対する懸念が強くなってきています。
デジタルデバイドといった表現で語られます。時間があればこのクラスでも取り上げたいと思います。
- 新聞社に残されている価値はあると思う。それはまず、紙の文化の中にある新聞の存在です。
古くからある新聞というものの歴史を残すという文化的な価値と、新聞の普遍的なデータとしての価値です。
デジタルデータは保存と再生の際のフォーマットはこれから何十年、何百年後には
全く別のものになっているかもしれないので、そのたびにデータの再保存や変換が必要になる。
しかし新聞に残した情報は人間の目で情報を得ることが変わらない限り、不変であるからだ。
講師からのコメント:
長期にわたる保存の問題は非常に重要ですね。良いコメントをありがとう。
簡潔に、うまく書けていると思います。
- 内容の信頼性が比較的高い記事が、定期的に出版される事。
また情報が多くない分、大きな出来事のみが書かれていて、読み手として必要な記事を見つけやすい。
- 存在しないと思います。インターネットを利用する事が当然の世代が増えれば増えるほど、
紙で作られた新聞の存在価値が小さくなると思います。
- 私は個人的にまだ紙の文化に依存しています。e-learningなど画面上で何かを読む、というのにはなれてません。
そういう意味で新聞がディスプレイだけになるというのは私にとって大変困ることです。
ところでこのように考えてる人はまだ多くいると思います。新聞は紙ですから内容を書き換える事ができませんし、
信頼感があります。また線を引いたり、チェックを入れたりということも可能です
(勿論、コンピュータでも可能でしょうが、新聞だと五感というか、人間的感覚を持つことが出来ます)
ここらへんが新聞的価値だと考えます。
講師からのコメント:
主張の良く判る、良い回答と思います。
講師との視点、着眼点の相違がどのあたりにあるか考えて貰えると嬉しいです。
- 信頼性
持ち運びの利便な点(新聞にかわるほどポータブルで安価な媒体はまだない)
画面よりも紙のほうがなじみがあり見やすい
情報が凝縮されてる分、大量の電子情報より把握しやすい。